ピエール=オーギュスト・ルノワール
《桟敷席》
1874年 コートールド美術館蔵
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)
華やかな19世紀パリの一場面で、桟敷席には流行のドレスを着る女性と正装の男性が描かれる。画家のお気に入りのモデルだったニニが扮した女性は、身につけた宝石とドレスにふさわしい身分の高い既婚女性か、流行に敏感な上流階級の女性か、あるいは高級娼婦なのか、発表当時からさまざまに議論されてきた。男性はオペラグラスをとおしてほかの桟敷席をのぞき見しているようで、女性もほかの席から見られることを意識しているようだ。1874年の第1回印象派展に出品され、好評を博した作品。
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五月人形 兜飾り 命名旗(金襴中) 高さ56cm*巾21cm 端午の節句 こどもの日 五月五日
エドガー・ドガ
《舞台上の二人の踊り子》
1874年 コートールド美術館蔵
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)
踊り子を繰り返し描いたドガ。本作品は、その衣装からモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の幕間に上演される、「バラの踊り」である可能性が指摘されている。舞台脇の桟敷席から見下ろすような視点から、二人の踊り子が捉えられている。踊り子と書き割りが配された密度の濃い画面右上に対し、手前には舞台の床のみが大胆に広がる。こうした斬新な構図には、日本美術の影響が認められるだろう。ドガの常套手段だが、画面左端には三人目の踊り子の衣装がちらりと入り込み、一瞬を切り取ったかのような印象をつくり出している。
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ガーデンプール 183cm 163-763
雛人形 ひな人形 ちりめん 扇面三段わらべ雛10人揃い 立札付きセット
雛人形 親王収納飾り【花ごろも】平安優香[193to1285-a6]
Dimension of DRAGONBALL SSGSS 孫悟空 約22cm ソフビ・布製 塗装済み可動フィギュア
エドゥアール・マネ
《フォリー=ベルジェールのバー》
1882年 コートールド美術館蔵
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)
マネ晩年の傑作として知られる本作品は、亡くなる前年の1882年のサロンで発表された。フォリー=ベルジェールは、歌や踊り、画面の左端にちらりと見える曲芸など多彩な出し物で人気を博したパリのミュージック・ホール。モデルは同ホールのシュゾンというバーメイドである。無数の観客と喧騒がすばやく粗い筆致で描かれる一方、手前の大理石のカウンターには酒のボトルやオレンジが丁寧に描写される。本作品は、鏡で作られた複雑な空間に、人物、群集、静物を卓越した技術で描いたマネの画業の集大成といえる。
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クロード・モネ
《アンティーブ》
1888年 コートールド美術館蔵
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)
移ろう光を捉え続けた印象派を代表する画家モネ。1888年、モネは南仏アンティーブに滞在した。彼の眼に地中海はどのように映っていたのだろうか。「私がここから持ち帰るものは、甘美さそのものだろう。白、ピンク、青、すべてがこの夢のように美しい空気の中に包まれている」( アリス・オシュデ宛)。アンティーブで記された手紙は、モネがパリやノルマンディーとは異なる海の空気と色彩に魅了されたことを伝えてくれる。前景に横切る松の存在が、遠景に霞むエステレル山脈までに存在する「美しい空気」を際立たせている。
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ポール・セザンヌ
《カード遊びをする人々》
1892-96年頃 コートールド美術館蔵
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)
セザンヌがカード遊びをする労働者を描き始めたのは1890年頃とされ、この主題で5点の絵画が残されている。男性たちは向かい合っていながらも、自らの内に没入しているように見える。セザンヌが繰り返し描いた故郷の山サント=ヴィクトワールと同じように、土地に根付き、昔ながらの生活を営む人々の姿が、厳かさを帯びるような堅固な構成のうちに捉えられている。本展覧会には、左の人物と同じ男性をモデルにした《パイプをくわえた男》(1892–1896年頃)も出品される。
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ポール・ゴーガン
《ネヴァーモア》
1897年 コートールド美術館蔵
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)
近代化した大都市パリを逃れ、素朴で原始的な暮らしを求めたゴーガンは、43歳となる年に初めて南太平洋のタヒチ島を訪れた。本作品は、二度目のタヒチ滞在時に描かれた。ゴーガンは暗くくすんだ色彩を用いることで、「かつて未開人がもっていたある種の豪華さ」を表現しようとしたという。横たわる裸婦は西洋美術の伝統的な主題だが、ゴーガンはタヒチ島の娘をモデルとし、装飾的な空間をつくり出した。二人の人物、窓辺の鳥との関係性は明確に示されず、全体に謎めいた雰囲気が生み出されている。
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